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ホットバイクジャパンマガジン元編集長長、肩書きのない池田伸=イケダシンであります。オレ様のチョッパーさ! 改めシンズブログ。チョッパーの背で考えた徒然を書き留めてゆく所存。

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  • 池田 伸: 路上へ

    池田 伸: 路上へ
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Date : February 01, 2009

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Sdim0410_2

 走り出した俺を待ち受けていたのは、広大なるインド亜大陸と、そこに暮す民の日常だった。

 古都バラナシの宿を出発し、半日も走ると街と呼ぶべき風景はすっかり終わりを告げ、ローカル国道はどこまでも続く農地を左右に切り分けて続く一本道になる。時折現れる小さな村をいくつもやり過ごし、気温40度を大きくオーバーする灼熱の太陽が肌のむき出しになった部分をじりじりと焦がす。ペプシコーラの大きな冷蔵庫をこれ見よがしに置いた店にバイクを止めて逃げ込んだ。

「ナマステ」

「ナマステ」

「コールド・ペプシ」

 冷蔵庫がまだ一般家庭に普及していないインドでは、飲み物が冷たいことはなによりの贅沢だ。普段はコーラの類をほとんど口にしない俺だけれども、冷えた液体がしゅわしゅわと炭酸の泡を発しながら口から食道、胃へと落ちていく一部始終を強く感じながら飲んだこのときのペプシは、本当に旨かった。体を大きく伸ばす。何時間も緊張しながらおなじ姿勢で座り続けた体に血がめぐる。

 しかし戸惑ったことに、店のインド人は誰一人英語を解さない。バラナシでは乞食までカタコトの英語を話すが、今思えばそれは観光地ゆえ。この国のほとんどを占める田舎では、英語はおろか外人を見ることが珍しい。そりゃそうだ、日本だって小さな村で英語をしゃべる人になんて、まず出会わない。

 でも、ま、なんとかなるさ。もはやサイは振られ、たとえどうしようと気に病んだところでなにごとも好転などしないのだ。

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オンザロード

inインディア①

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Sdim0412

インドの交通は、それはもうすさまじい。

うごめく歩行者に自転車、バイク、3輪の自転車タクシー=リキシャ、エンジンつき三輪タクシー=モーターリキシャ、そして自動車、さらに野良犬やらでっかい野良牛まで加わって、それらすべてが自分の行きたい方向へ我先に突き進む道路は、唯一の秩序たる信号機すらない混沌としたカオスそのもの。ときとして歩くことさえ侭ならないバラナシの道で、自分で運転することを想像できる日本人は、決して多くない。まずいない、といってもいいだろう。

でも、何度もこの街にやってきて、街の様子にずいぶん馴染んだ俺は、「これくらいなら運転できるだろうな」という気持ちになっていた。アメリカ、中米、ヨーロッパ、カブで走ったアジア、これまでに走ったどんな国よりアナーキーな道だけれども、何とかなるだろうと高をくくった。

翌日。近くの本屋で折りたたみ式のインド地図を購入し、部屋のベッドに寝転んでそれを眺めながら、どこか行く場所をぼんやり考えた。真っ先にアタマに浮かんだのはチベット。しかしその時、オリンピックの聖火問題に端を発し、チベットを統治する中国政府はチベット自治区への入域を禁止していた。

屋上のレストランで何か飲みながら考えようと部屋を出ると、隣の部屋にチェックインしている日本人の男女と鉢合わせ。「あ、こんちわ」と声をかけると男は怪訝な顔。あれ日本人じゃないのか、どこから来たのと訪ねると、彼は仏頂面で「Where are you from?」と聞き返す。愛想のないヤツだな、と思いながらジャパンと答えると、彼は自分を指して言った。

「Tibet」

"オンザロード

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バラナシのオンザロード

Date : May 21, 2008

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インド・バラナシに来て、早くも20日が経過した。
連日40度を大きく上回る猛暑、酷暑。クーラーつきの部屋に陣取ったはいいが、日中は街中が停電、クーラーは動かず、ジェネレーターで作動する天井のファンが、部屋に充満した暑い空気をかき回す。

そんなバラナシに40人を超えるボランティアたちがやってきて、学校の建物作りが進んでいる。
下痢、嘔吐、発熱でリタイヤは後を絶たず、でも誰も大事に至らず毎日が過ぎていく。すべては神の意のままに。

この街を流れるガンジスは、聖なる河だ。
破壊と再生の神シヴァの頭から流れ出で、ここに暮らす民の誕生から死までをすべて飲み込み進む、聖なるどぶ川。

あと数日したら、俺はこの街をあとにして旅に出る。
ガンジスの源流ガンゴードリを経由し、ダライラマとたくさんのチベット人の住むインドの中のチベット、ダラムサラへ。2週間ほどの一人旅。相棒はもちろんオートバイ。

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日米論

Date : April 30, 2008

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 俺の愛車は1949年製のハーレーダビッドソン。つまり60年ほど前に作られたオートバイである。

 改造、というよりほとんど一からこしらえたロングフォークのチョッパー。あちこちに濃いサビが浮き、エンジンやミッションは滲んだオイルに砂埃がこびりついているから、バイクに無縁な人はちょっと見、動くシロモノとは思えないらしい。

しかしすこぶるよく走る。どこまでだって走って行ける。けっして大げさではなく、沖縄だって北海道だって楽勝だ。

排気量はもともと1000ccだが、ピストンとクランクを交換して1300ccと少々。とにかくタフなエンジンである。

ハーレーダビッドソンの代名詞ともいえる「Vツイン」は、クルマのV8と並び、アメリカという国の象徴とも言える。コカコーラやマルボロのようなものだ。

メイドインUSAは強い。

前の52パンヘッドと合わせて13年ほど古いハーレーダビッドソンで走り続けた俺は、身をもってこれを知っている。

 1949年製。半世紀以上前の乗り物が現存し、世界最速都市トウキョウで日常の足として使える。冷静に考えればすごいことだ。

古いハーレーのパーツだけを作り続ける小メーカーがいくつもあって、それをまとめた電話帳のような英文カタログから注文すれば、60年前の部品が手に入る。豊富な中古パーツも含めて、何があろうと修理して使い続けることができる。

そもそも、大排気量ゆえの大パワーを備えるアメリカのVツインやV8は、小さく良く回る日本製エンジンのように軽量化をあまり考えていないから、ひとつひとつのパーツが無骨なまでに大きく重く厚く、それゆえ正確に組み上げればそれこそ100年使えるといっても大げさではない耐久性を持っている。

こういう素性と現状をすべて含めれば、ハーレーダビッドソンは間違いなく世界で一番強いオートバイだ。

ひとたび郊外に出れば一直線のフリーウエイが果てしなく続き、丸一日走り続けても風景が変わらない大陸で生まれた乗り物ゆえのタフネス。

そしてアメリカでは豊かさの度合いにかかわらずほとんどの家にガレージがあり、古い車を自分で直したりイジりながら乗るという行為が、老若を問わず男の趣味として確立している。この国の自動車文化の深度は、日本とはずいぶん異なっている。

1010万キロも走れば買い取り査定ゼロ、処分するにも費用がかかる俺たちの国では、自動車やバイクは単なる消耗品に過ぎない。

ちょっと修理すればまだまだ走るというのに、解体され廃棄され、あるいは発展途上の国々に向かう貨物船に積まれる日本は、つまり豊かな国だ。

10年乗ったクルマを20万出して直すくらいなら、200万出して新車にしよう。エコロジーとつぶやきながら、まだまだ使えるものが、巨大なエネルギーを費やして熱処理され、あるいは埋め立てられていく。

買い替えのサイクルを少しでも早めるために次々とニューモデルを発表しコマーシャルを流し、消費をあおり続ける日本の自動車メーカーは、ついにGMを抜いて生産台数世界第1位の座に着こうとしているが、大量生産大量廃棄のニッポン式スタイルと、「古い車に乗り続けること」が趣味の文化として成り立つ国との比較と考えれば、結論は決して単純ではないだろう。

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旅立てJack

Date : April 12, 2008

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 俺は長野市で生まれた。

 進学のため18で上京し、6年かかって大学を卒業。雑誌編集の仕事に就き、月の半分以上を編集部の机に突っ伏して寝るような暮らしを10年以上続けて、ふと気がつけば46だ。

 これはまったくもって大げさな言い回しでなく、振り返ればあっという間の出来事。四捨五入すれば50歳、いやはやなんとも、まったくもってその自覚はない。そうか、光陰矢のごとしというのはこういう意味だったのか。

 一昨年末に長年務めたモーターサイクルマガジンの編集長を辞して文筆家を志した俺は、仕事柄年の内360日をジーンズとスニーカーで過ごしていることも含め、2030代とほとんど変わらないつもりでいるのだけれど、それだけに46という数字に思いを巡らせると愕然とする自分がいる。こんな歳が現実として自分に訪れるとは、予想だにしなかった。片時も止まることない時の流れの、なんと無慈悲なことだろう。

 18で東京暮らしを始めて四半世紀を越えた。つまり今や故郷長野で過ごした時間より、東京の方が長いことなる。

 30代も終わりに近づいた頃、このことに気が付いて少なからず驚いた。24で働き始めて以来、押し寄せる仕事をなんとかこなすことだけに精一杯で、故郷なんて思い出しさえしなかった俺なのに。

 故郷は遠くにありて。

 この言葉の美しさに気づいたのは、40過ぎてからのことだ。

 俺の両親は今、長野市内から野尻湖に抜ける北国街道沿いの、リンゴと桃の果樹園と田圃が広がる山間の小さな村落に暮らしている。季節毎に色を変える美しき景色の中で、元気な老人たちとともに、ゆっくりと老いてゆく父と母。

 嗚呼いとおしき故郷よ。年食うことは、まんざら悪いことばかりではない。

 俺はオートバイ乗りだ。

「何をしてもいいけどバイクだけは絶対にダメ」という母親をなんとか説き伏せて、ヤマハの原付きを手に入れたのが16のとき。東京に出てすぐに(両親には内緒で)中型免許を取得し、以来いつだって俺の暮らしはオートバイとともにある。

 ハーレーダビッドソンを専門に扱う「ホットバイクジャパン」マガジンを創刊したのが1990年。以来編集長として雑誌を作りながら、オートバイで走り続けてきた。つまりオートバイに乗ることは俺にとって仕事でもあるわけで、もはや趣味とはちょっと言いづらい。

 オートバイにはさまざまな楽しみがある。所有する楽しみ、走る楽しみ。パーツを交換してカスタムしたり、自分の手を汚してメンテナンスする楽しみ。その中で俺は、オートバイで旅することに熱中した。

 20代後半から取材の名目で頻繁にアメリカを訪れるようになり、ロサンゼルスからフロリダ/ニューヨークへ2度の大陸横断を含む、たくさんの旅をした。

 入国審査の長い行列の最後尾で緊張にヒザを震わせ、道端に落ちている石ころひとつさえアメリカの石ころで、清水の舞台から飛び降りる決意でモーテルのドアを押し開いた。目に入るあらゆる光景にいちいち感動しながら、地平線に向かって一直線に伸びるフリーウエイでスロットルを握り続けたあのころ。

 同時に日本各地を走り続けた。北へ南へ、東へ西へ。北海道から屋久島、沖縄まで。そうして俺は少しずつ見知らぬ土地を旅することに慣れ、オートバイを離れて世界を旅するようにもなった。

 オートバイによって、鍛えられた僕がいる。

 知らない人と話すことが苦手な、シャイな青年時代を送った俺だった。どこかに行きたい、知らない土地を旅してみたい。そんな思いに背中を押されて旅に出た。

 オートバイは、人と言葉を交わすことが不得手な旅人にとって、格好の相棒と言える。野営道具を積んで走りだせば、日々一回「ガソリン満タン」以外の言葉を発することなく走り続けることができるのだ。そうして俺は孤独な旅を重ね、世界のどんなへんぴな場所でも一人で旅立てる男になった。

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